Miles Davis - Live Evil | NOTRE MUSIQUE

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Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Live Evilマイルス・デイビスの1970年のアルバム。
スタイオ録音の4曲とワシントンDCのセラードアでのライブ4曲がほぼ交互に収録されたアルバム。タイトルはLiveとその綴りをそのまま反対にしたEvil(つまりライブの対局であるスタジオ)を表している。因みに本作には"Davis"を反対にした"Sivad"と"Miles"を反対にした"Selim"という曲も収録されている。"Sivad"は破壊と再生の神"Siva"にも掛けられているそうだ。過去には"Miles Smiles"や"Milestone"などもあり、マイルスは"Call It Anything"や"What I Say"などいい加減なタイトルを付ける一方で、意外とこういう言葉遊びも好きなのだろう。
本作のプロデュースもこの時代のマイルス・サウンドに欠かせないテオ・マセロで、構成的には曲数はスタジオとライブと半々になるように配置されてはいるが、実際にはライブの演奏時間のほうが遥かに長く、スタジオ録音はライブの付けたし的な内容で、やはりメインはライブ録音のものに尽きるが、テオ・マセロの手腕でその境は極めて曖昧で、ライブとスタジオという決定的な録音環境の違いがありながら、アルバム全体を覆う雰囲気やトータル的な完成度は信じ難いほど高い。
メンバーはスタジオ録音含めると Miles Davis(tp),Gary Bartz(as,ss),Steve Grossman(ss),Wayne Shorter(ts),Keith Jarrett(p,elp),Chick Corea(key),Herbie Hancock(key),Joe Zawinul(key),Hermeto Pascoal(elp),John McLaughlin(g),Michael Henderson(b) ,Dave Holland(b),Ron Carter(b),Jack Dejohnette(ds),Billy Cobham(ds),Arito Moreira(per)とこの頃のマイルスのアルバムには決して珍しくないが、豪華絢爛なメンバーが参加。この時期のマイルスの音楽に関わったアーティストがほぼ揃っているが、特筆すべきはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョー・ザビィヌルというこの時代を代表するキーボーディストが勢揃いしている点と、ブラジル音楽の鬼才エルメート・パスコアールの参加である。パスコアールはあらゆる楽器を操るマルチアーティストであるが、ここではエレクトリック・ピアノを披露、この頃のマイルスがジャズ以外のロック、ワールドミュージック、現代音楽などの音楽の吸収に貪欲で様々な音楽的実験をしていた故の参加要請(おそらくアイアート絡みの人脈)だと思われるが、1曲のみの参加で、パスコアールの特異な摩訶不思議なサウンドとマイルスの共演がこの1曲のみというのは非常に残念なところでもある。
ライブのメンバーはというと、Miles Davis(tp),Gary Bartz(as,ss),Keith Jarrett(p,elp),John McLaughlin(g),Michael Henderson(b) ,Jack Dejohnette(ds)という布陣で、ここでの主役はマイルスに人生で共演した中で最高のピアニストと言わしめたキース・ジャレットである。アコースティックピアノしか弾かないキースの人生で唯一エレクトリック・ピアノを弾いたのがこのマイルスのバンドであって、その神業ともいえる凄まじいプレイは全編に渡ってサウンドをコントロールし、狂喜乱舞するディジョネットとマイケル・ヘンダーソンのタイトなビートを混沌へと導く。このキースのプレイによってマイルス御大含めた他のメンバーが今までになかったほどの充実したプレイを弾き出している。特に"What I Say"でのグルーヴ感と狂ったような音圧、ラストの"Innamorata And Narration"でのマイルス、マクラフリン、キースのソロの凄まじさに加え、この中ではサックスというフロントマンでありながら一番目立たないゲイリー・バーツも冴えたソロはこのアルバムのハイライトともいえる充実した演奏。本作は、マイルスのライブアルバムの中では"Four and More""At Fillmore""Agharta""We Want Miles"に並び、聴き手にそれ相応の覚悟と肉体的な余裕を必要とする。また、それぞれのメンバーの演奏が素晴らしいのは言うまでもないが、テオ・マセロにより、各々の曲がその美味しいソロを最上の形で聴くことができるように考えつくされた編集がされており、グルーヴィーなファンクミュージックのストラクティブな要素とキース他の浮遊する抽象的なフレーズによるアブストラクトな要素との付かず離れずの対比も素晴らしい。名作の多い70年代エレクトリック・マイルスのアルバムの中でも特にテオという存在がなかったら成立しなかったアルバムだといえる。
なお、このアルバムのライブ部分であるセラードアでの1970年12月16~19日の4日間に渡るライブの完全版である"Cellar Door Sessions 1970"(つまりテオ・マセロのメスの入っていない生の状態)がリリースされる。(予定では月内に日本盤リリース) "Live Evil"ではテオによって編集されてしまった"What I Say"のコンプリートテイクやマクラフリン抜きのキースの独断場ともいえるステージは興味深いものであるが、これまでのBOXセット同様にテオ・マセロの存在の大きさを知るだけとなってしまう気もする。アルバムとしてではなく、ひとつの歴史的な記録として、そして全体像ではなくあくまで部分的な個々のメンバーのプレイに焦点を当てて聴くのが正解なのだろう。