Albert Ayler - Love Cry | NOTRE MUSIQUE

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Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Albert Alyerアルバート・アイラーの1968年のアルバム。
オーネット・コールマン、セシル・テイラーと並んでいわゆるフリージャズの代名詞とも言うべきアイラーの残した傑作アルバムで、インパルスに移籍後第2作目にあたる。
アルバート・アイラーは1936年生まれ、幼少の頃最初に覚えたのはアルト・サックスであったが成人するとテナーに持ち替え、軍隊のためのマーチやゴスペル、ソウル、そしてニューオーリンズのジャズと多岐に渡る音楽を演奏するようになる。1961年にヨーロッパで陸軍を除隊したアイラーは、そのままヨーロッパに留まって活動を開始したためジャズ・ミュージシャンとしてアメリカ本国で認知されるまでに時間がかかってしまうが、彼の分裂症のような音楽性は混沌への一途を辿るが、それが彼自身のスタイルとして次第に確立されていく。ジャズのメジャーレーベルであるインパルスに移籍した後も、彼の音楽性は更に混沌を極め、セールス的な成功と、自らの進むべく音楽性とのギャップに悩むと同時に奇行も目立ってくる。
本作ではアイラーがインパルスのボブ・シールによってその音楽性を湾曲させられて、それが結果としてアイラーの混沌とした音楽性とシールの巧妙な戦略とが微妙に一致し、彼の数多いアルバムの中でもより珍盤として目立つ存在になった。アイラー自身の「ハレホレヒレハレ」という訳の分からないボーカルに始まり、フリーな演奏というよりも即興部分を極力減らして、テーマ部分を多くしたソウル色の強い作品となっている。いわゆるフリージャズとしてのアイラーの演奏こそ、ESP時代の諸作には及ばないが、アイラーの混沌とした音楽性の中の一部を巧妙に抽出し、ある種の秩序を持たせたシールのプロデュースは見事だったといえるだろう。
フリー・ジャズというと、ハードバップ~モードと即興演奏をとにかく自由度の高いものにと流れてきたジャズのメインストームの中で、その後に出てくる究極の自由なスタイルと思われがちであるが、かのオーネット・コールマンの"ジャズの来たるもの"はマイルスの"Kind Of Blue"と同じ1959年のリリース。つまり実質的にモードとフリージャズというのは同時に始まったことになるが、マイルスやコルトレーンの推し進めたモードと違って、フリージャズは音楽的に決まったフォーマットや理論が統一されていない。コールマンもセシル・テイラーもこのアイラーもフリージャズとカテゴライズされるが音楽的に似通っている部分はほとんどない。つまりフリー・ジャズとはジャズのスタイルではなくインプロヴィゼーションに対する取り組み方の自由さでしかなく、精神論的なものでしかない。
このアルバート・アイラーは生涯を通して、自己の音楽にその自由さを持ち続けた。このアルバムはボブ・シールというプロデューサーによってイニシアティブを握られてはいるが、彼の音楽の自由度は何も変わっていない。逆にシールによって決められたフォーマットの中での彼の咆哮はいつも以上に過激に破壊的に聴こえる。アイラーは自己の持てる音楽性をフリー・ジャズとして表現してしまったが、このアルバムをひたすら聴きこむと彼の音楽の本質は実は伝統的なアメリカン・ミュージックであったことに気づかされる。歪んだクレイジーなフレースの奥からは純粋無垢で力強い音が聴こえてくる。
その後、アルバート・アイラーは1970年、ニューヨークのイーストリバーで水死体となって発見される。享年34歳、彼の死因はいまだにわかっていない。