Charlie Parker - Charlie Parker With Strings | NOTRE MUSIQUE

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Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Charlie Parkerチャーリー・パーカーの1949録音のアルバム。
バードことジャズの巨人、チャーリー・パーカーのオーケストラとの共演アルバムで、クリフォード・ブラウンをはじめ他のアーティストも同じスタイルで録音している"with strings"シリーズの走りともいえる名盤。
チャーリー・パーカーは1920年、アメリカのカンザス州生まれ。1933年に学校のスクールバンドでアルト・サックスを吹き始めたのをキッカケに彼の音楽人生は始まる。高校に通いながらもプロのサックス奏者としての仕事をこなし、その後カンザスでjay McShanらのバンドを中心に活動し、着々と自己の研磨に励んでいた。そして1945年、パーカーは初めての自己のグループを率いてジャズ・シーンの中心に登場してくる。そのとき若冠24歳のパーカーはすでにビバップのアルト・プレイヤーの中でも突出した実力を持っており、後にビバップの模範となるべくスリリングなフレーズとカンザス時代に演奏した様々なブルースのフレーズが彼の音楽性の大きなバックボーンとなってパーカーのプレイを輝かせている。高速フレーズのスリル、書いた曲のオリジナリティ、モダナイズされたフレーズ、洗練されたブルース・フィーリングと、パーカーはその天才的なひらめきで、ディジー・ガレスピーらとビバップを創造し、当時のジャズシーンのトップを走り抜けた。
このアルバムはそんなパーカーの音楽性に陰りが見え始めた1949年の録音。一般的にパーカーの最盛期は1945年のから1948年と言われており、その後は麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、何度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。この"with Strings"ものはなにかと当時からジャズファンから敬遠される存在で、もともとが「ソリストとして活躍する有名アーティストのバックを豪華なオーケストラでやれば売れるだろう」という音楽性よりもレコード会社の短絡的かつ商業的な理由で企画されているため無理もないが、単なるムード音楽で終ってしまう可能性が強く、アーティスト側にとってもこの企画に挑むのはある種の冒険でもあった。このパーカーのアルバムも選曲されたのはスタンダードばかりで、甘い弦楽演奏の上でパーカーがかなり原曲に忠実に吹き上げるというものだが、ここでのパーカーの演奏は決してただのイージーリスニング的なムード音楽に終始してはいない。どんなに周りで甘い演奏を繰り広げたところで、当のパーカーのサックス自体には全盛期のクールでタフな輝きが存在している上に、弦楽器をバックに従えることである種のエレガントさをも感じさせてくれる。ここにはビバップの神と称えられるような神業のごとき難しいフレーズを易々と吹くパーカーは存在しないが、この極上の演奏を聴いていると彼の音楽的な魅力は決して高度な演奏技術だけでなく、精神的にもサウンド的にも深い音楽性があることに気づかされる。
その後のパーカーは次第に麻薬により身体を蝕まれ、健全な精神を破壊され、最期は衰弱により35歳という若さで心不全で亡くなった。35年という短い人生で4回の結婚、5人の子供を設けるという太く短い壮絶な生き様は映画化もされた。このアルバムでの神々しいサックスの音色とやわやかく愛情の込められた彼の演奏は、彼の人生最後の輝きだったともいえる。パーカーがビッグバンドによるスゥイングジャズの全盛時代から、カルテットやクインテットを中心とした少人数形態で、プレイヤーのアドリブを重視したビバップを生み出したという歴史的な事実はジャズ史の中でも最大といっても過言ではないほどの偉業である。そして彼の音楽は、麻薬とアルコールで身を滅ぼしていくという破滅的なライフスタイル含めて後生のジャズメンたちに多大な影響を残した。パーカーの音楽はその後、彼のバンドにいたマイルス・デイビスによって引き継がれ、新しいジャズへと発展していくことになる。