NOTRE MUSIQUE

NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

"Music of My Mind" Changement de titre "NOTRE MUSIQUE" un titre est la revision de la musique avec le contenu tres prive dans la cotation de nouveau travail (traduction anglaise:Our Music) de Jean-Luc GODARD.

Amebaでブログを始めよう!

昨年末の"終了の御挨拶"にはBlog上、実生活上問わず多くの暖かいコメントをいただき、ありがとうございました。 特に同じAmebloで音楽Blogを書いている方や音楽を志されている方からのコメントが多く、感無量でございます。


そこで自分で言うのも甚だ恐縮ではありますが、カーテンコールまたはアンコールとして約10日ぶりにひとつ記事を書かせて頂きます。以前、"Rambling Shoes "のコージさまからいただいていた"音楽・温水(ヌクミズ)バトン"(あなたの琴線に触れた、「暖かくて泣ける曲」)について、書くのを終了前の名盤詰め込みですっかり失念していたことを思い出しました。(コージさま、大変失礼いたしました) 
このバトンにお受けするかたちでカーテンコールとアンコールに代えさせていただきたいと思います。
勝手ながらずっと本Blogのスキンに使用させて頂いている帝王マイルス・デイビスの作品から、1961年のアルバム"Someday My Prince Will Come"のタイトル曲を。

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Miles Davis - Someday My Prince Will Come

Someday My Prince Will Come メンバーは Miles Davis(tp),John Coltrane(ts),Wynton Kelly(p),Paul Chambers(b),Jimmy Cobb(ds)というカルテット。アルバムの中にはハンク・モブレーがテナーを吹いている曲もあるが、この曲は一度抜けたコルトレーンが一時的に復帰しており、マイルスバンドにおけるコルトレーンの最後の演奏が聴ける曲でもある。
ご存知のとおり、曲自体はJazzスタンダードの中でも特に知名度が高く、多くの人から愛されている"いつか王子様が"である。マイルスは他の有名なスタンダードを取り上げる際にも大体そうだが、オリジナルのメロディーをなるべく壊さずにシンプルなアレンジで曲の良さを活かそうとする。ポール・チェンバースのF音のベースにはじまり、ウイントン・ケリーのチャーミングな天使のようなピアノに導かれて、マイルスがミュートでテーマを吹く。そしてこの曲のためにわざわざ連れ戻されたというコルトレーンがいつになく優しく力強いソロを吹いている。このアルバムのリリースされた1961年はマイルスバンドではコルトレーンの後を継いだソニー・スティットが抜け、ハンク・モブレーが入ったばかりで、その後のBlackhawkでのライブに向かう過渡期であり、オーネット・コールマンがニューヨークに現れて大騒ぎになった年でもある。
マイルスは常にJazz史を引っ張るような革新的なサウンドをクリエイトし、バンド内ではリーダーとして常にメンバーに恐怖に似た緊張感を与えることでメンバーから本人も気づいていないようなサウンドと才能を引っ張り出してきた。本曲はそんな強面で常に突っ張って生きてきたマイルスが生涯残した曲の中で唯一といえるほど、リラックスしたトーンによるロマンティシズム溢れた演奏が聴ける。そしてどんなにリラックスし感傷的になりながらも決して芯に秘めたクールさを感じさせるのがマイルスが帝王であったことの所以でもある。
"Kind Of Blue"も"Bitches Brew"も"アガパン"もマイルスやJazz史を語る上では欠かせない作品ではあるが、マイルスがサウンドクリエイターとしてではなく、ひとりのトランペット奏者として本来のJazzの持っていた温かみを感じさせてくれるという意味では、この曲も決して外せない。普段笑わない人が稀に見せる微笑みや優しさが特別な印象を抱かせるのと同様に、いつもクールさを崩さなかったマイルスの優しさの詰まったこの演奏は他にはない格別の響きを持っている。
なお、アルバムのジャケットの女性は当時のマイルスの愛妻フランシス。当時、黒人女性をアルバムジャケットに起用するのは非常に珍しかったらしいが、マイルスはフランシスにとって自分がまさに"Prince(王子さま)"だからという理由で起用したらしい。真偽のほどは不明だがいかにもマイルスらしい心温まる(?)エピソードのひとつである。

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本来バトンでは3曲選ぶようなので、あと2曲は簡単に。

■ Lamont Dozier - Why Can't We Be Lovers


モータウンの作曲家チームであったHolland-Dozier-Hollandの3人のうちの一人であるLamont Dozierのアルバム"Love And Beauty"収録の代表曲。
とにかく典型的なノーザンソウルのバラードで、メロディ・歌詞・アレンジともに完璧な1曲。タイトルどおり決してハッピーな曲ではないがイントロのド演歌調のサックスに始まり、とにかく泣かせどころが多い。音楽についてはなにかと薀蓄を並べてしまう傾向にある私だが、こういうストレートな曲は心の弱い部分にハマってしまって抜けないことも多い。
この曲をカバーしたWorkShyのヴァージョンも捨てがたいが、やはりこのオリジナルのヴァージョンのほうをお勧めしたい。

■ The Beatles - Across The Universe

このBlogでは結局、ラストではじめて取り上げたビートルズだが、当然13枚のオリジナルアルバムはどれも思い入れが強い。
この曲はビートルズといってもほとんどジョン・レノンひとりによる曲である。「Words are flying out like endless rain into a paper cup. / They slither while they pass They slip away across the universe. / Pools of sorrow、waves of joy are drifting thorough my open mind」(言葉は、止まない雨がペーパーカップの中へ降り注ぐように、飛び散っては消える / それは滑り且つ過ぎ大宇宙を遙かに越えて何処かに滑っては消える / 悲しみはプールとなり、歓びは波となり、私の真実の心を漂っている)というジョンらしい知的な歌詞表現が底抜けに優しいアコースティックギターの弾き語りであの切ない声で歌われる。そしてサビの"Nothing's gonna change my world"に込められた彼の強い意志は、後のソロ活動にはない穏やかさに包まれている。ぜひ機会があったら歌詞の全文をお読み頂きたい。
この曲はアルバム"Let It Be"に収録、どちらかというと小曲ゆえあまり語られることがない曲だが、個人的にはビートルズの中ではベスト5に入るほど好きな曲である。

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以上3曲を個人的に暖かくて泣ける温水曲として選ばせて頂きました。
だいぶ期間が空いてしまったのでバトンを回すのは控えさせていただきます。書かれたい方いらっしゃいましたら、ご自由にお持ち下さいませ。因みにコージさまの選ばれたフィートの"Willin'"も私の琴線にも触れっぱなしの大好きな曲です。

それでは今度こそ長い休暇に入らせていただきます。

約10ヶ月と短い期間ではありましたが、本当に有難うございました。
またどこかでお逢いしましょう。


2006/01/11 AM5:30  T.Fukui

先日の告知通り本日で(昨日のビートルズを最後に)毎日更新を続けてきた本Blogの更新を停止させていただきます。
奇しくも年末にあたる本日まで(正確にはアルバムレビューは昨日まで)でUpしたアルバムはちょうど合計300枚(約280アーティスト)になりました。

私は音楽とは全く関係ない仕事をしているため、趣味と聞かれて"音楽鑑賞"と答えてしまうことが多いのですが、必ずその後に聞かれる"どんな音楽が好きなのですか?"という質問はもっとも頭を悩ませる質問であり、どんな回答をしてもその後1週間は後悔し続けるほど答えにくい質問であります。
このBlogはもともとほとんど統合不全で分裂症状態である私的でなかなか理解されない音楽嗜好を少しでも分かってもらおうと思って始めたものであり、当初はごく限られた範囲の知人/友人のために書き始めました。そして次第に読者になっていただける方の増加、アクセス数の増加と比例して自然と無意識の内に、文章が硬くなり感想というよりも批評じみた記事が多くなってしまいました。(最初の頃の記事と比べると全然別物ですね) とりあえずBlog開設当初に決めたルールは下記10点です。

1. 取り上げるアルバムは一人のアーティストにつき一枚。
2. 特に思い入れの強いMiles Davis,Stevie Wonder,Serge Gainsbourgについては上記1の例外とする。
3. ライブ等で感動して帰った日の記事も上記1の限りではない。
4. アクセス数稼ぎのためのこちらからの積極的なTrackBackは控える。
5. いただいたTrackBackについては速やかにお返しさせていただく。
6.いただいたコメントに関してはお返事させていただく。(全然出来ていないですね。。。)
7. 2005年現在入手可能なアルバムに限る。(一部例外も書いてしまいました。。。)
8. 利益目的(アフィリエイト)には使用しない。
9. リンクの乱用、不必要な改行はしない。
10. 掲載する画像はアルバムジャケットのみとする。

以上、最低限のルールしか決めず、毎日かなり思いつきで選びました。
とにかく毎日更新すると決めてしまったため、振り返ると自分で読むのも恥ずかしい記事も多数あります。酔っ払いながら書いたものや仕事で疲労困憊して書いたものなども多く、明らかに日本語表現がおかしいものもあります。(そういう記事は引っ込めてしまおうかとも思いましたが、キリがないのでこのままにしておきます。)

これだけのテクストを公の場に残しておきながら、こんなことを言うのも憚れますが、音楽について文章を書くという行為は本来極めて不毛なことであると思っています。実際にこういうものを書いてみようかなと思い始めてから、実際に行動に移すまでにかなり悩みました。
音楽の素晴らしさは理屈通りにはいかないもので、感性に任せた第一印象やその場のインスピレーションが全てとも言えますが、同時にそんなに簡単に一言で言い切れるものでもありません。どんな音楽をどんなふうに出会っても良いものは良い、という考え方は正論ではありますが、情報過多の現代においては、聊か独断的であるといえるでしょう。(こうしたBlogをはじめとするWebサイトにはそれこそ私見に満ちたものや誤情報もたくさんあります。)

また、そうした個人の感性とは別のところで個人が意図しない社会的な意識の埋め込みという行為が知らないうちに行われてしまうというのも商業音楽である以上、仕方のないことでもあります。
20世紀の音楽史を振り返っても、ブラックミュージックの発展は公民権運動の盛衰をなくして語れませんし、ロックという音楽が常にそうしたブラックミュージックの影響を受け続けながら発展してきたというのも事実です。
そして60年代ロック史においてはベトナム戦争への反対と厭世、カウンターカルチャーの一部としてロックが反戦に加担した一方で、第2次大戦時には米大統領のルーズベルトが戦場の兵士の戦意高揚の音楽としてデューク・エリントンやグレン・ミラーの音楽を利用し、ヒトラーがチャイコフスキーやブラームスの音楽をナチスドイツのナショナリズムを高揚させるために利用したという暗い過去も存在したように、使い方如何によっては音楽は必ずしも良い方向にだけ作用するものではありません。
こうした社会意識としての操作に利用されたりする危険の中、また混沌とした情報過多の現代においては、言うまでもなく自分なりの意見を持つことが重要であり、あくまで自分の耳で聴き感性を磨くことを忘れてはいけないと思っています。従って、ここに書いた音楽レビューの数々は私なりのそれぞれの音楽に対する愛と解釈であり、決して一般論でもありません。(性格的に所詮は商業音楽である以上"売れるものは正しい"と思っていますので、結果としてそれほど一般論とはズレていないようです。)

個人の音楽嗜好に対して唯一絶対的な影響力を持つものがあるとすれば、それはまさに音楽との出会い方に尽きると思います。
新しい音楽との出会いがさらに新しい音楽との出会いを生むという普遍の定義は、アーティストとアーティストの出会いが新しい音楽を生むということと同義であり、広義においてはビートルズによってポップ・ミュージックが発展したり、マイルス・デイビスの活動がジャズ史を牽引し続けたという歴史的事実とも同義だと言えるでしょう。

本Blogをこれで完全に終わりにしてしまうかどうかはまだわかりませんが、最後にこんなに無駄に長く偏見に満ちた音楽評を読んで下さった皆様にお礼を述べさせていただきます。これまでBookmarkに登録して毎日読んで下さった皆様、読者登録をしてくださった51人のAmebloユーザの皆様、コメントを残して下さった皆様(お返事返せず申し訳ありませんでした)、TrackBackして下さった皆様、Mixiからのリンクで訪問して下さった皆様、更新を応援してくれたご友人の皆様、誤字脱字を指摘して下さった皆様、本当に有り難う御座いました。

皆様にこれからも素敵な音楽との出会いがたくさんありますように。
そしてその出会いがこのBlogで書いた300枚の中にあれば、こんなに嬉しいことはありません。

Roy Hargroves Roy Hargrovesは1990年にウイントン・マルサリスが発掘したトランペッター。
ウイントンに見出されたとはいえジャズの伝統にしがみ付くタイプではなく、もともとP-Funk直系のブラックなサウンド志向が強く、ディアンジェロやエリカ・バドゥらのアルバムにも多数参加し、1990年代のニューソウルブームにも一役買っており、ブラックコンテンポラリーとコンテンポラリー・ジャズを縦断する今最も旬なジャズマンといえる。最近では、ハービー・ハンコックやマイケル・ブレッカーら大御所の"Directions in Music"にも参加し、見事帝王マイルス役をこなしていたのが印象深い。
そのRoy Hargrovesが今回、The RH FactorというHipHop/New Soul/Jazzプロジェクト名義の"Distractions"という作品(写真右)と"Nothing Serious"というタイトルのストレートアヘッドなソロ名義のアコースティック作品(写真左)をVerveより2枚同時リリース。
まずRH Factorとしては1年半ぶり2作目の作品で(未発表曲集を合わせると3作目)、今回も彼はトランペットだけでなくボーカル、キーボード、ソングライティング、プロデュースとトータルプロデュースを行っている。そして今回も注目すべきは依然沈黙を守り通しているディアンジェロが作曲とボーカルで1曲参加している点だろう。1枚目のアルバムではトランペットをメインにしたFusion/HipHopサウンドということで、所詮はマイルスの遺作"Doo-Bop"からの呪縛から逃れられないのかと思わせるトーンでもあったが、今回のアルバムに至っては、その影響下から完全に抜け出し、ただのFusionではなくブラックミュージックに対するクールな批評性とオリジナリティを獲得している。今回の90年代のニューソウルの黒さと濃さが染み付いた極上の極黒サウンドは、収録時間がわずか40分超という今時のHipHopアルバムにはあるまじき短さではあるが、十分に満足させうる内容である。ボーカルをかなりふんだんにフィーチャリングしながらもトランペットが主役で時々入るキーボードの躁鬱的なサウンドは70年代マイルスの混沌と魔術的なカオスを彷彿させ、ストレートなファンクナンバーのボトムの効いたビート感はそのままP-Funkを連想させるが、そこにはコカインの匂いはなく、独自のブラックネスを追求する姿勢と批評性を加味することでオリジナリティを確立している。比較的音数の多い計算され尽された完成度の高いストラクティブなバックトラックと、そんな限界性の中の比較的アブストラクトで自由なソロとの対比と構成には目を見張るものがある。
もう1枚のジャズアルバムはRH FactoryとはうってかわってクインテットによるストレートなHard Bopアルバム。ストレートアヘッドなジャズはなんと10年ぶりではあるが、ジャズ作品はこれまでに10枚リリースしているらしい。結果的にはRH Factoryをはじめとするソウル系の活動で成功しまったため、その成功と名声によって久々にリリースできた個人趣味的傾向が強い作品を想像しがちだが、これがかなり正統派で粋なジャズ魂を感じさせる内容となっている。RH Factoryとの差別化という意味もあってか、黒さというより軽さを重視したサウンドでラテン系リズムを取り入れたアップテンポの曲が目立つ。一般的にはRH Factoryの成功でソウルマンとしての認知のほうが高いようだが、見事にジャズマン、トランペット奏者としての面目如実というところだろう。個人的にはRH Factoryよりもこちらのほうが爽快で聴く頻度は高い。
この異なる2種類のサウンドはどちらも適度に洗練されていて、適度に勢いがあって、どちらもカラーがハッキリしていて非常にわかりやすいという点が共通している。ジャズを聴いてみたいけどジャズガイドに頼るのもダサいしなにを買っていいのかわからない、という方や、Stevie WonderやJames Brownは知っているけど、コンテンポラリーなブラック・ミュージックには疎いという方、ディアンジェロの新譜に待ちくたびれたソウルファンのニーズには応えるほどの懐の大きさがあるであろう。彼のコンセプチャルな音楽観のストレートな具現化はそのまま最新型ジャズの象徴といえるだろう。

Beatlesビートルズの1969年のアルバム。
発売日はその後1970年リリースの"Let It Be"のほうが後になるが (因みに"Let It Be"はそれ以前に録音されたものをフィル・スペクターがビートルズ抜きで完成させたものであり、近年フィル・スペクターのメスの入っていないオリジナルのテイクが"Let It Be Naled"というかたちでリリースされ賛否両論を呼んだ。)、実際に録音したのはこちらのほうが後で、実質的にビートルズのラストアルバムである。ホワイトアルバムと呼ばれるビートルズのオリジナルアルバム唯一の2枚組大作"The Beatles"以降4人それぞれの音楽に対する方向性の相違が広がり、それぞれのメンバーが書いてきた曲を書いたメンバー主導で他の3人が適当にバックをつけるという方法が定着する。映画"Let It Be"を見るとそのあたりのアレンジや演奏が実に適当にやられているのが明白で、ファンにはただ辛辣なだけの映像であった。ビートルズというバンドの持つサウンドが多様化していくといえば聞こえは良いが、要はバンドとしてのまとまりに欠けてきただけであった。最悪と酷評され空中分解してしまったアルバム"Let It Be"の前身であるGet Back Sessionsの頃には、解散は時間の問題という認識が各自にもあり、ヨーコ・オノという新しいパートナーを見つけたジョン・レノンをはじめ、ソロ活動を始めておりこのアルバムはそうした決定的なものとなった解散を前提として作られた節があり、それぞれが曲を書いて持ち寄るというスタイルこそ変わらないが、ビートルズが最後に再びビートルズであることを自覚的に作ったアルバムである。
本作に収録された各曲は初期の作品のように短い曲がほとんどで、それをバランス良く並べらた全体の構成はサージェント・ペパーズに並ぶ出来と言ってよいだろう。ビートルズの持つキラキラしたポップなメロディー、シンプルながらダイナミックな演奏、実験的なアイデア性が見事にひとつのバンドサウンドとして結実している。"I Want You"や"Oh Darling"に込められたジョン・レノンのビートルズを拒否しようとする姿勢と、あくまでビートルズに拘ろうとするLP時代のB面にあたるポール・マッカートニーによる神業のようなメドレーは相反するものでありながら、これまでのようなバラバラ感はなく奇跡のような緊張感とひとつのバンドのひとつのアルバムとしてのまとまりがある。このポールのメドレーは歌詞もメロディーもミニマムな作り方がされており、美しいメロディーがたたみかけるよう繰り広げられるこのアルバムのハイライトであり、おそらくその後のソロ活動含めてポールの書いた曲の中でもこれがベストであろう。
あの時期のメンバーの心理状態の中で、これほどのアルバムを作ってしまう実力があったというのがまさにビートルズがビートルズとして今でも絶対的な支持を集める所以である。映画"Let It Be"でもスタジオのリハーサル・シーンではやる気の欠片もなく、いい加減に演奏したり、口論したりと他人事ながら心配してしまうが、Rooftop Sessionsと呼ばれたアップル社屋上でのライブシーンになると、一転してクールな演奏をきめる。これはまさにあの4人だからこそできたものであり、このサウンドの完成度の謎は今や誰もわからない。このアルバムでも、当時メンバーの中でも特に孤立していたポールの曲であるB面のメドレーなどはどういう過程を踏んで作られたのか完全な謎である。
ビートルズは言うまでもなく20世紀を代表するバンドであり、言ってしまえばすべてを完璧にこなせる優等生のような完璧なバンドであったが、それをジョンの自嘲精神とポールの遊び心で、あえてどこか一部で手を抜くというか、意識的にはずすあえて完璧なものを排除する傾向があった。どのアルバムにも必ずどこかにその茶化し精神のある遊びを入れていたが、その唯一の例外であり彼らが本気で全力を出し切ったのがサージェント・ペパーズである。バンドとしての本当の意味での活動はサージェント・ペパーズで頂点を極め、その後は分裂してしまう結果となったが、本作では前述のようにそれぞれやりたいことはソロ活動で行えるという前提で、意識的に本来のビートルズサウンドを取り戻そうとしている。本来の茶化し精神である非完全主義をも発揮したという点では、ビートルズのアルバムとしてはサージェント・ペパーズ以上に完全な作品である。(このアルバムはジョークとしか思えないラストの"Her Majesty"で終わる。) 彼らは本作で、この時点で既にただの肥大化した虚像でしかなかった誰もが求めていたビートルズをビートルズ自身が再演することで終わらせようとしたのである。結果、本作はビートルズのラストを締めくくるに相応しいクオリティと絶大な支持とセールスを記録した。
ビートルズの偉業などは今さらいうまでもなく、語り始めるとそれだけでひとつのBlogが作れてしまうほど大きなテーマである。ポップミュージックのマーケットを一気に拡大した彼らの登場は20世紀商業音楽史上に起こった最大の出来事であり、この4人がひとつのバンドにいたというのは最も幸福な偶然であり、歴史的必然でもあったのは間違いないだろう。デビューからわずか8年、次々と世界の音楽観を変え続けたビートルズは最後に自らがビートルズを演じきるという、あくまでビートルズらしいシニカルな方法論で輝かしい歴史に幕を閉じた。
Blossom Dearie最近になって再発になったブロッサム・ディアリーの70年代の隠れた名盤。
ブロッサム・ディアリーは1926年4月28日NY州イースト・ダーハム生まれ。10代後半よりジャズを歌い始め40年代中期はウディ・ハーマン楽団やアルヴィノ・レイ楽団のコーラス・グループで活躍。52年にはフランスに渡り、アニー・ロスと共に"The Blue Stars"というコーラスグループを結成し、"バードランドの子守歌"などのヒットを生んだ。56年にノーマン・グランツの誘いで一時帰米、ソロのジャズボーカリストとしてVerveに6枚のアルバムを録音し、その後はアメリカとヨーロッパの両方で行うようになる。73年にはN.Y.で自主レーベルとしてダフォディル・レーベルを設立しその意欲的な音楽活動は充実していく。近年ではジャズボーカルという枠を超えて、"カフェ・ア・プレミディ"からベスト盤が出たりして、ポスト渋谷系ともいうべきカフェ世代層からも多くの支持を集めた。またそのキュートでコケティッシュな歌声はソフト・ロックやネオアコ系のファンからも絶大なリスペクトを集めている。
本作はダフォディル・レーベルでの4作目にあたる作品で、彼女の歌声とピアノのみというシンプルな構成。彼女はピアノを弾きながら、キュートな歌声で一音一音気持ちを込めて丁寧に紡いでいく。特に"Touch the Hand of Love"は思わず溜息が漏れる素晴らしさである。
モダンジャズ創生期から活躍してきたベテランシンガーではあるが、ジャズボーカルというとサラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドのような、声量のある力強いヴォーカルが主流であったが、ブロッサムはアニタ・オデイなどと同タイプで声量もなく、歌唱力という点でも決して上手いとはいえない。しかしキュートでありファニーでありコケティッシュである彼女の歌声は、ジャズという狭い範囲で語ることができないほど多角的な魅力に溢れ、ジャズファンだけに限らず多くの音楽ファンを虜にした。既に50年と言うキャリアを持ち、相応の年齢を重ねているが、その若々しく瑞々しい元祖ウィスパー・ヴォイスともいえる囁くような繊細な歌声は衰えを知らない。彼女のどこまでも優しい歌声は、天使の魔法のように一年の過ちや悔いをすべて赦し、昇華させてくれる。

3121プリンスの前作"Musicology"以来約2年ぶりの新作。
今回は新たにユニヴァーサル・モータウンと契約し移籍後初のアルバムとなった。プリンスはこれまでにもワーナーとの確執以後はアリスタやコロンビアといったメジャーレーベルと契約しているが、どちらもわずか1作のみのリリース、作品の質に合わせてメジャーレーベルでリリースするか、自己のNPGでリリースするかを使い分けている節がある。これまでのメジャーレーベルでリリースされたのが"Rave Un2 The Joy Fantastic"と前作の"Musicology"といったプリンスのアルバムの中ではセールス趣向の強いアルバムだったのに対して、NPGリリースの作品は前々作のインストの"n・e・w・s"をはじめとするプリンスのアーティスティックでエゴスティックな音楽志向を強く感じさせる作品である。そしてメジャーのユニヴァーサルからのリリースとなった本作であるが、結論からしてセールス志向の強い作品はメジャーで、という定義を裏付けるかのごとく対外的な作品であるといえる。前作の"Musicology"で久々に自らのアーティストエゴと流行のコンテンポラリーな要素を結実させ、これまでのクオリティを下げずに大衆的な作品となりセールス面でも成功したプリンスであるが、本作でもそのアーティストエゴと大衆性の融合と同胞という方向性は変わっていないが、サウンドの持つエネルギーはさらに強靭で硬質なものへと変貌を遂げている。前作でかつての80年時代の黄金時代のテンションとポップ性を取り戻したプリンスであるが、本作での具体的なサウンドの変化は、かつてのプリンスが持っていた上面は軽快でありながらも芯の重いファンクネスを現代にリアルに再現した(取り戻した)点にあると言えるだろう。(具体的には"Parade""Lovesexy"や"Black Album"のサウンドを連想していただけると解かり易いであろう)
アルバムに収録された曲のヴァリエの豊富さは相変わらずといったところであるが、久々の起用となったかつてのNew Power Generationのリズム隊であるマイケルB(ds)とソニー・トンプソン(b)参加のアルバムタイトル曲"3121"に始まり、先行シングルにもなったオリエンタルで官能的な"Te Amo Corazon"、かつてのプリンスサウンドの代名詞とも言える密室型ファンクの進化系のような"Black Sweat"、新たにプリンスが調教(教育)中のテイマー(Tamar)と美しく絡み合う"Incense And Candles"と"Beautiful Loved And Blessed"、パープルレインや1999、そして最近DVD化された"Sign O The Times"を思わせるひたすらポップな"Fury"、シンプルなタイトルとはうってかわりピアノを中心にドラマチックに盛り上がるミディアムバラードの"The Dance"そしてラストはこれまたプリンスの大得意とするファンキーチューン"Get On The Boat"で幕を閉じる。基本的に前述のマイケルBとソニー・トンプソンの参加のアルバムタイトル曲とラストのJoshua Dunham(b)、Coleman Dunham(ds)参加のラスト以外はすべてのバックトラックはプリンス自身によるもので、今やお馴染みとなったメイシオとキャンディ・ダルファーの二人は全編に渡って参加している。因みにタイトルの"3121"とはプリンスの現住所の数字でもあり、先行シングルの発売日の12月13日を逆さにした数字もあるらしいが真意は不明。ミスティフィカシオンな要素を盛り込むのが好きなプリンスらしいタイトルである。
プリンスの黄金時代である80年代の彼自身のシャウトはバブル経済最盛期の日本人の金塗れの狂喜を象徴しシンクロしている。やがて日本経済のバブルが弾け、プリンスは改名騒動を起こし結婚と離婚を経験する。そして奇しくも日本経済が上向いてきたとされる昨今、プリンスも本来のファンクネスを取り戻した。このアルバムで聴かれるプリンスのサウンドには何の迷いもない。かつて天才であるが故にひとり独走状態で登りつめ、飽和状態となってしまったプリンスのサウンドはここにきてより強靭な存在感と、より確信性を獲得した。普遍であるが故に不変である。本Blogで前作"Musicology"のレビューでは快作と表現したが、本作は文句なしの傑作であると言って良いだろう。
前作及びその後のツアーでセールス的にも大成功を収めたプリンスが、今度はユニヴァーサル・モータウンという今をときめく旬のコンテンポラリーなブラックミュージックを世に送り出しているレーベルから本気で新作をリリースをしてきた。リリースする作品すべてクオリティが高く、活動期間も長く常に精力的という現代のデュークエリントンとも言うべきプリンスが完全復活した。(といっても決して落ちていた時期があったという訳でもないが、この盛り上がり方と充実度は復活という表現が許されるほどであろう) 村上春樹氏はデューク・エリントンに対して敬愛を込めて、これだけ巨大な人にこれだけ長く活躍されるとやっかいだ、と述べていたが、プリンスほどの能力と経験のあるアーティストが、次々に優秀なアーティストが生まれる情報過多の現代においてこれほどコンスタントに素晴らしい作品をリリースするという事実にも全く同じ表現と賛辞が送られて然るべきであろう。確かに恐ろしくやっかいなことではあるが、昔ながらのファンとしては、これほど喜ばしいことはない。

Allman Brothers Bandオールマン・ブラザーズ・バンドの1971年のライブ盤。
オールマンの最高傑作でもあり、70年代ロック史に輝く名盤。タイトル通り1971年3月当時のロックのライブ名盤を数多く生んだニュー・ヨークのフィルモア・イーストでのライブを収録したアルバムである。
オールマン・ブラザーズ・バンドのデビューは1969年、結成時のメンバーはグレッグ・オールマン(org,Vo)、デュアン・オールマン(SldGt)、ディッキー・ベッツ(G)、ベリー・オークリー(B)、ブッチ・トラックス(Ds)、ジェイ・ジョニー・ジョンソン(Ds)の6人で、ギター2本にドラム2台という大編成。このバンド自体の結成もデビューの1969年であり、結成時それぞれのメンバーにはスタジオミュージシャンとしての下積みの時代があった。特に有名なのが、スライドギターのデュアン・オールマンで、彼はアトランティックのスタジオ・ミュージシャンとしてウィルソン・ピケッツやアリーサ・フランクリンなどの諸作で一聴で彼とわかる個性的なスライド・ギターを披露している。この時代の録音は"Duan Allman Anthology"としてまとめて聴くことが可能である。因みにウイルソン・ピケッツにビートルズのカバーなどロックのカバーを勧めヒットに導いたのも彼の進言に寄るものだそうだ。しかしデュアンをはじめメンバーたちは各々スタジオ・ミュージシャンとしての制限された音楽活動に不満を抱えるようになり、オールマン・ブラザーズ・バンド結成に至る。
今やサザン・ロック、スワンプロックとしての代名詞的なバンドであるオールマンだが、デビュー当時のバンドの方向性にはそうしたルーツミュージックをストレートに演奏するというスタイルではなく、ブルティッシュロックからの影響をブルースを基調にした自分たちのサウンドとして取り入れていた。デビュー・アルバムのサウンドの方向性は後にデュアン自身も語っているように非常に同世代のブリティッシュロックを意識している節があるが、どうしてもルーツにある泥臭いブルースの香りが先行して洗練されたコンテンポラリーな音楽には聴こえないし、またそれがオールマンのサウンドの魅力となった。
このライブ盤ではそうした彼らのブルースを始めとするルーツミュージックからの影響がより顕著に表れており、スタジオ盤にあったブリティッシュロックへの情景も薄れ、彼らの本来持つ圧倒的な演奏力がフルに展開されている。特にこのバンドの醍醐味のひとつであるデュアンとディッキー・ベッツの2本のリードギターによるギターの長いインプロヴィゼーションの掛け合いは見事で、その後のロックバンドにおけるツインギターのアンサンブルのひとつのスタイルとして大きな影響を残した。コルトレーンを擁した頃のマイルスバンドのマイルスとコルトレーンのソロの対比を参考にしたと言われる二人のスリリングな掛け合いはスタンダードなブルースナンバーを単なるブルースカバーではなく、ギターだけでハードロックとしてのオールマン独自のサウンドに見事に変換させている。またデュアンのスライドをはじめそれぞれのソロの力量も並々ならぬバンドではあるが、それ以上にバンドアンサンブルにも細かな気配りがされており、オリジナルの大作である"エイリザベスリードの追憶"におけるダイナミックな演奏と構成力はロック史に残る名演となり、本作をライブの名盤として今でも語り継がれるほどの有名なアルバムにのし上げた。オールマン・ブラザーズ・バンドとしてのバンドとしての方向性の本質は長いインプロヴィゼーションよりもむしろこうしたバンドとしてのアンサンブルにあるといえる。
その後デュアンが1971年10月に事故死 、同じくベリーオークリー1972年10月に事故死と相次いで不幸な出来事が続き、このオリジナルメンバーでの全盛期は長くは続かなかったが、彼らのブルースを始めとしたアメリカン・ルーツミュージックを土台にした力強いサウンドは後のスワンプ・ロックやサザン・ロックと言われるジャンルにおいて多くのフォロワーを生み出した。
なお、本作は現在はデラックス・エディションというかたちで、"Eat A Peach"に収録されていた"エリザベスリードの追憶"にも匹敵するドノヴァンの"霧のマウンテン"をベースにした"Mountain Jam"などフィルモアでの録音でありながら他のアルバムに散らばっていたテイクをまとめて聴くことができる。個人的にはオリジナルの曲順で聴き慣れているため、デラックス・エディションという形でこの素晴らしい演奏を一気に聴くことには相当のエネルギーを要する。やはりこの"Live At Fillmore East "はオリジナルの曲順で聴きたいし、"Mountain Jam"はオリジナルの"Eat A Peach"の中で聴くほうがしっくりくる。また近年にはこのフィルモアの前年1970年のライブ音源である"Live At The Atlanta International Pop Festival July 3 & 5 1970"も公式リリースされた。
Live Evilマイルス・デイビスの1970年のアルバム。
スタイオ録音の4曲とワシントンDCのセラードアでのライブ4曲がほぼ交互に収録されたアルバム。タイトルはLiveとその綴りをそのまま反対にしたEvil(つまりライブの対局であるスタジオ)を表している。因みに本作には"Davis"を反対にした"Sivad"と"Miles"を反対にした"Selim"という曲も収録されている。"Sivad"は破壊と再生の神"Siva"にも掛けられているそうだ。過去には"Miles Smiles"や"Milestone"などもあり、マイルスは"Call It Anything"や"What I Say"などいい加減なタイトルを付ける一方で、意外とこういう言葉遊びも好きなのだろう。
本作のプロデュースもこの時代のマイルス・サウンドに欠かせないテオ・マセロで、構成的には曲数はスタジオとライブと半々になるように配置されてはいるが、実際にはライブの演奏時間のほうが遥かに長く、スタジオ録音はライブの付けたし的な内容で、やはりメインはライブ録音のものに尽きるが、テオ・マセロの手腕でその境は極めて曖昧で、ライブとスタジオという決定的な録音環境の違いがありながら、アルバム全体を覆う雰囲気やトータル的な完成度は信じ難いほど高い。
メンバーはスタジオ録音含めると Miles Davis(tp),Gary Bartz(as,ss),Steve Grossman(ss),Wayne Shorter(ts),Keith Jarrett(p,elp),Chick Corea(key),Herbie Hancock(key),Joe Zawinul(key),Hermeto Pascoal(elp),John McLaughlin(g),Michael Henderson(b) ,Dave Holland(b),Ron Carter(b),Jack Dejohnette(ds),Billy Cobham(ds),Arito Moreira(per)とこの頃のマイルスのアルバムには決して珍しくないが、豪華絢爛なメンバーが参加。この時期のマイルスの音楽に関わったアーティストがほぼ揃っているが、特筆すべきはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョー・ザビィヌルというこの時代を代表するキーボーディストが勢揃いしている点と、ブラジル音楽の鬼才エルメート・パスコアールの参加である。パスコアールはあらゆる楽器を操るマルチアーティストであるが、ここではエレクトリック・ピアノを披露、この頃のマイルスがジャズ以外のロック、ワールドミュージック、現代音楽などの音楽の吸収に貪欲で様々な音楽的実験をしていた故の参加要請(おそらくアイアート絡みの人脈)だと思われるが、1曲のみの参加で、パスコアールの特異な摩訶不思議なサウンドとマイルスの共演がこの1曲のみというのは非常に残念なところでもある。
ライブのメンバーはというと、Miles Davis(tp),Gary Bartz(as,ss),Keith Jarrett(p,elp),John McLaughlin(g),Michael Henderson(b) ,Jack Dejohnette(ds)という布陣で、ここでの主役はマイルスに人生で共演した中で最高のピアニストと言わしめたキース・ジャレットである。アコースティックピアノしか弾かないキースの人生で唯一エレクトリック・ピアノを弾いたのがこのマイルスのバンドであって、その神業ともいえる凄まじいプレイは全編に渡ってサウンドをコントロールし、狂喜乱舞するディジョネットとマイケル・ヘンダーソンのタイトなビートを混沌へと導く。このキースのプレイによってマイルス御大含めた他のメンバーが今までになかったほどの充実したプレイを弾き出している。特に"What I Say"でのグルーヴ感と狂ったような音圧、ラストの"Innamorata And Narration"でのマイルス、マクラフリン、キースのソロの凄まじさに加え、この中ではサックスというフロントマンでありながら一番目立たないゲイリー・バーツも冴えたソロはこのアルバムのハイライトともいえる充実した演奏。本作は、マイルスのライブアルバムの中では"Four and More""At Fillmore""Agharta""We Want Miles"に並び、聴き手にそれ相応の覚悟と肉体的な余裕を必要とする。また、それぞれのメンバーの演奏が素晴らしいのは言うまでもないが、テオ・マセロにより、各々の曲がその美味しいソロを最上の形で聴くことができるように考えつくされた編集がされており、グルーヴィーなファンクミュージックのストラクティブな要素とキース他の浮遊する抽象的なフレーズによるアブストラクトな要素との付かず離れずの対比も素晴らしい。名作の多い70年代エレクトリック・マイルスのアルバムの中でも特にテオという存在がなかったら成立しなかったアルバムだといえる。
なお、このアルバムのライブ部分であるセラードアでの1970年12月16~19日の4日間に渡るライブの完全版である"Cellar Door Sessions 1970"(つまりテオ・マセロのメスの入っていない生の状態)がリリースされる。(予定では月内に日本盤リリース) "Live Evil"ではテオによって編集されてしまった"What I Say"のコンプリートテイクやマクラフリン抜きのキースの独断場ともいえるステージは興味深いものであるが、これまでのBOXセット同様にテオ・マセロの存在の大きさを知るだけとなってしまう気もする。アルバムとしてではなく、ひとつの歴史的な記録として、そして全体像ではなくあくまで部分的な個々のメンバーのプレイに焦点を当てて聴くのが正解なのだろう。
Linkin Parkリンキン・パークの2003年のアルバム。
LA出身の5人組であるリンキン・パークのデビューは2000年、デビュー・アルバムの"Hybrid Theory"がビルボード初登場16位を記録。新人バンドとしては異例の1500万枚を超えるメガ・ヒットを記録し、発売から1ヶ月足らずでゴールド・ディスクに輝くなど型破りな記録を打ち立てた。その続編であるリミックス・アルバムである"Reanimation"も大ヒットし、瞬く間に2000年のロックシーンを代表するバンドにのし上がり、今ではベテランバンドとしての風格すら漂う大物バンドとなった。本作はそのリンキン・パークの最新のスタジオアルバムで、彼らの2枚目にあたるアルバム。今やロック全体の主流になりつつある彼らのメタルとヒップホップをミックスさせたサウンドは元はアンスラックスとパブリック・エナミーが行ったジョイント・コンサートに端を発しているらしい。
一度聴いただけですぐにわかるラウドなサウンドと完璧にコントロールされたサウンドミクスチャー能力は前作を遥かに上回り、この凄まじいクオリティーは星の数ほど現れたこのスタイルの他のバンドの追随を許さないものである。90年代のヘヴィ・ロックを完璧に身に着けた演奏力とあくまで白人的なアプローチでヒップホップを徹底的に解明し、ラウドなロックサウンドの中で再構築させたマイク・シノダのラッパーとしての実力、そしてチェスター・ベニントンの唯一無二の機械的な正確さを持ちながら生身のダイナミズムを感じさせるハイトーン・ボーカルとすべてが極めて高い水準で融合している。もはやミクスチャーというカテゴリを越えたひとつの音楽スタイルを築き上げたといって良いだろう。
なお、アルバムタイトルの"Meteora"とはギリシャで、岩山の上に修道院が散在するという神聖な場所のことらしい。長い歴史を持つその場所を時代を超越した普遍的なロックを作るという彼らの方向性にたとえている。プロデュースにはデビュー作と同様にドン・ギルモア、ミックスとアンディ・ウォレスという布陣で、彼らの強靭なサウンド力とメロディーの持つパワーを十二分に引き出している。基本的な路線こそこれまでとは変わっていないものの、そのスケールの拡大力は留まるところを知らない。エレクトロニックなサウンドの蔓延るミュージック・シーンにロックとはこうあるべきだとその革新的な音圧を叩きつけた彼らのサウンドは2000年代のロックを代表するサウンドであり、本作は現代アメリカのミュージックシーンを支える重要作であるといえるだろう。ファンの間で賛否両論を巻き起こしながらもセールス的には前作以上の反響を呼び、全米チャートNo.1を獲得、2004年現在で400万枚以上のセールスを記録している。
George Michaelジョージ・マイケルのWham!解散後の1987年の初のソロ作。(クリスマスということでいろいろ悩みましたが、結局ベタですがいまや日本のクリスマスに欠かせない有名曲"Last Christmas"をつくったWham!のジョージ・マイケルです。)
ジョージ・マイケルは12歳の頃からの友人アンドリュー・リッジリーとともにWham!を結成。このWham!というグループは、稀代のポップスターであり優れたポップメイカーであるジョージ・マイケルの表現の場であり彼はこのグループでの活動によって成長し、世界へと羽ばたいた。彼らはルックスも良かったことからアイドルとして認知されることも多く、アイドルロックの原型を作ったバンドであったとも言える。Wham!のデビュー・アルバムから彼のメロディー・センスは優れており、アイドル的なルックスであるがゆえに、プロデュースやソングライティングは別のアーティストが手がけているのではという憶測すら出回ったが、そうしたすべての作業はジョージ・マイケルひとりによってなされたものであり彼への評価は瞬く間に高まった。このデビューアルバムにはそうした彼らの魅力がたっぷり込められており、大ヒットした"Young Guns"や"Wham Rap!"などのヒット曲だけでなく、ミラクルズのカヴァーである"Love Machine"のセンスも彼らの評価を高めた。
言うまでもなく、ロックは黒人音楽からのコンプレックスなど強い影響を受けている音楽である。80年代当時もピーター・ガブリエルやTalking Headsをはじめ流行のエレクトロなダンスビートにアフリカンビートを取り入れるミュージシャンも多かった。このジョージ・マイケルも黒人音楽への情景が非常に強く、Wham!の音楽性にもそれは色濃く反映されているが、彼の黒人音楽の消化の仕方は他のミュージシャンとは大きく異なり、黒人音楽へのコンプレックスは存在しなかった。ジョージ・マイケルの場合は自分が率直に感じ取った音楽をストレートに自己の音楽に反映させているだけであり、消化し自己の音楽へ再構築をするというスタイルとは異なる。こう書くとロックがロックとして存在できる重要なファクターである批評性に乏しくも感じられるが、彼はそこをキラキラしたアイドル的なルックスと抜群のメロディーセンスでカバーし、そのプリミティブな音楽欲求を曝け出した。
彼のそうした黒人音楽の消化の仕方を軽薄だとする批評家もいたが、そこはこれまでのブルースから派生したロックやR&Bの影響下にあるポップミュージックとは一線を画するもので、そうした解釈の差異はもはや世代的なものであるだろう。いずれにしてもこのWham!の方法論はその後誕生する黒人音楽の影響を受けたバンドに多くの影響を与え、多くのフォロワーを生むことになった。ジョージ・マイケルというルックスの良いスターがこの時代に登場し、若いエネルギーと優れたポップセンスを発揮させることが出来たからこそ成しえたサウンドである。
Wham!は約4年で解散し、ジョージ・マイケルはソロ活動を開始、そのソロ第1弾が本作である。本作からは"I Want Your Sex"やアルバムタイトル曲の"Faith"、"Monkey"など合計6枚のトップ5ヒットも生まれ、全世界で1000万枚以上を売り上げるという大ヒット作となった。Wham!時代からの黒人音楽への情景をそれまでのストレートなアイドル的なアプローチではなく、脱アイドル化し見事に自己のサウンドとしてのアイデンティティを獲得、よりアーティスティックで完成されたサウンドを聴かせた。本作は1988年のGrammy Awards-Album Of The Yearを受賞、全米では12週連続全米No.1アルバムを獲得、年度Billboard年間チャートSingle,Album両部門を制覇するという快挙を達成した。